any day now

GWだというのに…昨日は公務員試験。全然楽しくない連休です。

今日ぐらいGWらしいことをしよう!ということで、楽しみにしていたこれを観に銀座まで。

f:id:Ara2kashico:20140505193319j:plain
「チョコレートドーナツ」

薬物中毒で母親が服役してしまったダウン症の男の子をゲイカップルが引き取り、共に暮らしてゆくのだが…というお話。

愛らしさと悲しさと暖かさと悔しさと…色んな感情が抑えきれず、涙が溢れました。
1970年代のアメリカで本当にあったお話のようです。(勿論デフォルメされているだろうけど)
同性愛や障害に対する偏見・差別、法の「正義」など、現代においても他人事ではない、溝の深いテーマだと思います。賛否両論あるだろうけど、ぜひ皆様に観ていただきたい作品です。

イノセントな愛は、ときに残酷なものですね…。なにが正しくて、なにが間違いなのか、その判断は非常に難しい。
でもわたしは、やっぱり純粋な心で人を愛していきたいとも思う。

さて、明日からまた勉強がんばろう。

感謝の気持ちを忘れずに

今週末から始まる公務員試験にむけ、ただいまスパートをかけております…
自分の専門の勉強はすごく楽しいのですが…一般教養はまるで頭に入ってきません。「興味・関心」のフィルター効果は恐ろしい。

今日も遅くまで大学で勉強をして家に帰ってきたわけですが、
玄関のドアをあけると、今朝消して出ていったはずの電気が。ついてる。
よく見ると、台所に手紙が。

「試験期間に突入するわけだけど、身体に気をつけて。少しだけ食料を補充しておくね。」

季節外れのサンタが来てくれたようですね。わたしの大好きな豆乳とグラノーラが冷蔵庫にスタンバイしておりました。
彼の真っ直ぐな優しさと、最後に電気を消し忘れる相変わらずの間抜けさに、心がほっこりとしました。

日々誰かに迷惑をかけ、誰かの優しさに支えられ生きているのだと、改めて実感します。家族、友達、恋人、先輩、沢山の愛する人々に、この感謝の気持ちを伝え続けたいです。
明日も自分らしく頑張ろう。

自分のために生きる

高校の時の友人と約1年ぶりに会いました。東京ではちょくちょく会ってたけど、地元で会うのは成人式以来。

高校生のとき、よく2人で通った喫茶店に行ってきました。約7年ぶりに一緒に食べたパフェは相変わらずの味だったけど、互いに7年という年月が流れたことを実感。わたしはまだ学生ですが、彼女はもう社会人2年目。不思議な感覚です。

互いの近状を報告し合いましたが、彼女がどれだけ日々考えて仕事をしているのかを感じさせられ、「社会」という大きく高い壁を突きつけられた気がします。
しかし、自分の人生を大切にし、自由かつ謙虚に生きる彼女の姿をみて、わたしも今まで通り自分らしく生きていこうと改めて思いました。

いつでも会える距離にいるわけじゃないし、頻繁に連絡をとっているわけでもないけど、これからもずっと、こうしてラフに付き合っていけたらいいな。
数は多くないけど、会いたいと思わせてくれる友達がいること、心から幸せに思います。
わたしも自分の大切な人に「会いたい」と思ってもらえる人間になろう。

明日は東京へ。弾丸ツアー。
大好きなアーティストに会ってきます!

苦手を受け入れる

人それぞれ、多かれ少なかれ、得意不得意があるはずです。運動神経がわるい、美味しい料理が作れない、音痴で歌が唄えないなど、いろいろありますね。
わたしは小さい頃から、それなりに勉強も運動も出来て、コミュニケーション能力もあり、歌も楽器もそこそこ出来ると、ある程度の水準であれば出来ることの方が多かった気がします(そのかわり特筆すべき秀でた能力はないですが)。

しかし、どうしても不得意なことが一つだけあるんです。それは、絵を描くこと。ラッピングしたり色を塗ったりする作業は大好きなのですが、如何せん絵を描くセンスだけは、全くもって皆無。あらゆる方から「画伯」と呼ばれるレベル。中学の美術の授業では毎回デッサンを描いてくるのが宿題だったのですが、どうしてかなかなか合格の判子がもらえず…いつも成績は3でした(4がもらえると1日ハッピー!)。

完璧主義だったわたしは、一つでも出来ないことがある自分が恥ずかしくて、つい絵を描くことを避けていました。でも成長するにつれ、こんなへったくそな絵を描く自分が嫌いじゃなくなりました。これはこれでわたしの個性だな〜と思ったら、別に隠す必要なんてなかったんだなって。最近では、自分の描いた絵を見て皆が笑ってくれるのを嬉しく感じるまでになりました(笑)

大なり小なりコンプレックスというものはあるものだけど、それを受け入れて初めて「個性」を主張できるんじゃないかなと。「個性」を尊重しよう!などと安易に発言する昨今ですが、何が好きで何が嫌いで、何が得意で何が不得意なのか、自分自身が理解し受容することが、「自分らしさ」の第一歩なのかなぁ〜と、ぼんやり思います。

でもやっぱり、人並みの絵は描けるようになりたいな(笑)

欲望との向き合い方

気づけば4月も1週間終わりました。
新社会人の方々は、この土日をどのように過ごしたんだろう、来年わたしが社会人になったら、どんな気持ちで明日を迎えるんだろうと、不思議な気持ち。

今日友達と話して、なるほどなと思ったことがありました。
憧れと嫉妬の違いは、どこから生まれてくるのか。
憧れは、純粋に自分の興味関心・尊敬の念で持って、相手を素敵だなと思うこと。対して嫉妬は、その相手が第三者に素敵だなと評価されていることを羨ましく思うことなんじゃないかと。
つまり、他人からの評価が媒介することで、嫉妬心に変わってしまうのです。
その相手が評価されている側面について、少なからず自分自身も認められたいという欲求があるからこそ、憧れではすまされない醜い感情を生み出してしまうのですね。

そこまで嫉妬深い方ではないですが、嫉妬心が湧き上がると自分に辟易としてしまうので、基本的にはその相手と自分を比べないように、相手を避けてしまう傾向があります。
そこで負けん気を出して、わたしもやってやるぞ!となればいいんでしょうけど…そうならないのが根性無しのわたし。

でも、それでもいいんです。今は。
わたしも皆に認められたい、すごいなって思われたいっていう感情を起爆剤にして生きるのは、とても苦しい。自分がどこに向かっているのか、わからなくなってしまう。
今は、わたしがなりたい「自分」を目指して、凛々しく、己のために生きていきます。しばらくは。
人が道に躓いたとき、そっと靴紐を結び直し、次に進むべき道へと柔らかな光を照らす、そんな人間になれたらなぁ。

また今日から1週間、笑顔を絶やさずがんばります☻

醜い心を晒す

今日は心理学を学ぶ大学院生らしく、動機づけについてぼんやり考える夜です。

マズローという心理学者が述べていた、欲求段階説っていう考え方があります。
このマズローさんは、人間の欲求を5段階に分けてるんです。
初期段階から、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認(尊重)の欲求、そして最後に自己実現の欲求、と進んでいくそうな。
わたしは昔から(中学くらいから)劣等感が酷く強い人間だったので、社会的・承認欲求も人一倍強かったと思います。人に愛されたい、そして人に認められたいという気持ちが、自分自身を駆り立てていました。

でも最近になって、ある素敵な先生と出会い、自分らしさを追求することの素晴らしさを実感して以降、どうも自己顕示欲の高い人が苦手になりました。
嫌悪感かもしれないし、ただの嫉妬かもしれないし、とにかく心がモヤモヤ。

もしかしたらわたしは、自己実現の欲求の段階に近づいているのかもしれない。そう思うことにしてます。承認されたいという自己顕示の欲求が悪であるとは思ってません(勿論、いまのわたしにとっては悪ですが)。
この欲求のまま生きる人間がいても、それはわたしと目指すベクトルが違うだけ。ただそれだけのことです。

でも、ここ最近一緒にいて楽しいなと感じるひとはみんな、「自分らしさ」を求めて生きる豊かな人ばかりです。そういう人たちの話をもっと聞きたいし、もっと語らいたいと思うと同時に、自分もちょっぴり前に進んでいるのかなと、自己肯定する気持ちも忘れたくないなーと。

はぁ。今日もまた、頭の中に散乱する思考たちが、文字におこす前に消えてしまいそう。その時、その瞬間に感じたこと、考えたことをまとめる作業はとても苦手。まぁ、それだけとりとめのないことだという表れなのかもしれないですが。


stand by me

ブログ始めました。
頭の中に溜まっている膨大な言葉たちを、ここで整理していきたいなと。

昨日フジテレビの某番組で、心理学研究者の方が、「友達というのは、号泣できる相手だ」と言っていました。
なんとなく、その言葉が引っかかっていたので、今日はふと「stand by me」のDVDに手を伸ばしてみました。
スタンド・バイ・ミー コレクターズ・エディション [DVD]

劇中でクリスがゴーディに向かって、「君の両親が君の才能を守ってやれないなら、俺が守ってやる」って言うシーン。あの台詞が大好き。
久々に観てもやっぱりリバーフェニックスはかっこいいし、好きなシーンも変わってない。けど、なんだか昔よりもこの映画の良さをじんわりと感じています。

知人と友達と親友と仲間と。それらの境界線ってすごく曖昧。これからも沢山の人と出会い「友達」になっていくと同時に、これまでの「友達」と遠ざかっていくのでしょう。
強い結びつきを意味する言葉のように感じるけど、案外「友達」っていうのは儚いものなんだなと。でも儚いことを怖がる必要はなくて、それは自分自身が変わっている証拠なんじゃないだろうか。
これから先、どんな人と時間を共にできるんだろうと考えると、別れも少しは寂しくなくなるような気がします。
もっともっと、沢山の人と話をしたいな。

やっぱり言葉を紡ぐ作業は難しい。
明日から新学期がはじまります。