醜い心を晒す

今日は心理学を学ぶ大学院生らしく、動機づけについてぼんやり考える夜です。

マズローという心理学者が述べていた、欲求段階説っていう考え方があります。
このマズローさんは、人間の欲求を5段階に分けてるんです。
初期段階から、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認(尊重)の欲求、そして最後に自己実現の欲求、と進んでいくそうな。
わたしは昔から(中学くらいから)劣等感が酷く強い人間だったので、社会的・承認欲求も人一倍強かったと思います。人に愛されたい、そして人に認められたいという気持ちが、自分自身を駆り立てていました。

でも最近になって、ある素敵な先生と出会い、自分らしさを追求することの素晴らしさを実感して以降、どうも自己顕示欲の高い人が苦手になりました。
嫌悪感かもしれないし、ただの嫉妬かもしれないし、とにかく心がモヤモヤ。

もしかしたらわたしは、自己実現の欲求の段階に近づいているのかもしれない。そう思うことにしてます。承認されたいという自己顕示の欲求が悪であるとは思ってません(勿論、いまのわたしにとっては悪ですが)。
この欲求のまま生きる人間がいても、それはわたしと目指すベクトルが違うだけ。ただそれだけのことです。

でも、ここ最近一緒にいて楽しいなと感じるひとはみんな、「自分らしさ」を求めて生きる豊かな人ばかりです。そういう人たちの話をもっと聞きたいし、もっと語らいたいと思うと同時に、自分もちょっぴり前に進んでいるのかなと、自己肯定する気持ちも忘れたくないなーと。

はぁ。今日もまた、頭の中に散乱する思考たちが、文字におこす前に消えてしまいそう。その時、その瞬間に感じたこと、考えたことをまとめる作業はとても苦手。まぁ、それだけとりとめのないことだという表れなのかもしれないですが。